弁護士コラム

遺言で未成年後見人も選任できます。

ママが幼いぼくを残して不意にこの世の中から妹とともに世界から旅立った時、僕は、パパによって育てられた。僕の情緒は混乱していた。どうしてママが、どうしてアリスが。混乱していた僕のそばに、パパは46時中ぴたりと寄り添うようになった。むしろママがいなくなった後の方がパパとの間の思い出がたくさん残っている。ママがいたとき、パパは設計の図面とにらめっこをしていた。そんな無口な人という印象しかなかった。ママがなくなった後、パパは、意識的なんだろうか、印象が変わってきていた。パパが僕に寄り添うようになるのが早かったのか、僕がそれに気づくのが遅かったのか。特に、遺された僕を悲しませないように子育てをしてくれた。

ぼくが起きる前にパパはすでにキッチンに立って料理をしていたし、パパが作るのは決まって和食だった。あのころ、マンションの中で、香る赤味噌のにおいが僕にとって朝のはじまりを付けていた。

キッチンに顔を出すと、テーブルの上には、パパが満足そうな笑みを浮かべながら珈琲を飲んでいた。小学校は給食もあるんだけど、「朝弁」と称してお弁当箱での朝ごはんが慣例だったんだ。夜ご飯も週末の昼食もパパが作った。あるいは、仕事があるときは作り置きがあった。外食をするときは、僕が逆にパパの気を遣うときくらいかもしれない。今日は呑み屋さんで、って。パパはそうでもしない限り、めったに外食をしない人でもあった。ママは、外出をしてデパートに行くのが好きな人だった。また、外商にステータスを感じていた。

 でもパパはずっと家にいた。設計士という職業の人はもともと友人が少ない人なのかな。脊髄損傷を追っている鮎川さんという設計士さんがパパの弟子らしい弟子といえば弟子だったのかもしれない。そして、ときどきくる、弁護士の伊藤さん、息子の瞬くん。幼いぼくは、年齢を重ねるたびにパパは普通じゃない、と思うようになっていったけど、それはパパの個性と思うようになっていった。

 ママがいなくなってから、僕はパパと一緒に登校していた。ママは朝に弱かったから、もともと、学校の送り迎えは、早起きのパパと一緒にするようになっていた。そして、次第に同じマンションの京介と同い年の圭介と一緒に登校するようになった。でも、僕には、親戚がいない。友達の少ないパパにもしものことがあれば、ぼくはひとりぼっちになってしまう。そんな風に僕は真剣に悩んだ。お手伝いさんの「おばちゃん」は80歳だし、家庭教師の京介がそこまでしてくれるわけないよね。どこかに預けられるにしても、幼馴染の圭介の家は避けたかった。圭介と僕は兄弟のように育ったけれど、圭介は僕に時折暴力をふるった。日本にいるパパの兄弟たちは、パパとの間で問題を抱えていた。そして、ママの親戚とも疎遠になっているし、僕が生まれる前にママの両親はなくなっている。だから、パパにもしものことがあったら、僕は一人になる、天涯孤独になる、という点で必死に泣いて訴えたこともあった。結局、パパが遠方に出張する際、僕は同行を義務付けられることになった。それで僕の情緒が安定するなら、ということらしいけど学校の授業からはだいぶ遅れをとることになった。また、パパは、遺言を書いていて、もし自分になにかがあったら、未成年後見人に弁護士を選任してあるから心配するな、といわれた。多分、それは、時折遊びにくる伊藤勇人さんと息子の瞬くんなんだろうな、と思った。

 今思うと杞憂にすぎないかもしれないけど、そういう環境にいる人は遺言一つで、こどもの情緒を安定させることができるんだな、と思っている。

2017/12/13